PRESIDENT INTERVIEW
タイトル
チャプター 第2部 第3部



第1部
天狗だったので、新入社員の頃から「30代で社長になってやろう」と思っていました(笑)。




  今日は会社の紹介ではなく、"人間・内山毅(うちやまたけし)に迫る"ということで、お話を聞いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  
   
  はい、よろしくお願いします。  
   
  内山さんは、1964年12月22日生まれということなんですが、クリスマスイブの前々日が誕生日なんですね。  
   
  そうなんです。子供の頃は恨みましたね。誕生日のプレゼントとクリスマスのプレゼントが一緒になっちゃうんですよね。ひとつしかもらえないんですよ(笑)。  
   
  それはお気の毒でした(笑)。ところで、40代前半で社長に就任されるというのはかなり若い方だと思うのですが、内山さんは、新人のころ将来自分が社長になるって思ってましたか?  
   
  正直に言うと、「30代で社長になってやろう」って思ってました。鼻っ柱が強い、嫌な奴だったんです。  
   
  え、そうなんですか?  
   
  はい。「俺はどれだけ最短距離で頂点に立てるか」、みたいなことを、しゃあしゃあと言っている時期がありました。  
   
  でも、お話していて、ぜんぜんそんな感じに見えないんですが。  
   
  ある挫折がきっかけで、やわらかい人間に変わったんです。  
   
  なるほど、そうなんですね。じゃあ、その話はまた後ほどお聞かせいただくとして……。まずは、子供のころのお話を聞かせていただけますか。  
   
  小学生のころは、中学受験で勉強ばかりやってました。結局、失敗したんですが(苦笑)。それで中学生のときは、もう勉強なんかそっちのけで、土曜日も日曜日も、一日中バスケットをやっていました。  
   
  バスケ部だったんですね?  
   
  はい。中学校から家まで歩いて7、8分の距離なんですが、練習で足がパンパンに張ってるものですから、40分ぐらいかけて歩いて帰ってました。  
   
  すごいですね。なぜそこまで一生懸命やれたんですか?  
   
  いやあ、何だったんでしょうね。部活の仲間皆が、当時熱中してましたね。「とにかくうまくなりたい」、という一心でやってましたね。  
   
  すると、中学生の思い出といえば、バスケットだけになりますか?  
   
  それ以外のことは何もやってなかったですね。  
   
  高校受験はどうだったんですか?  
   
  あ、一応受験しました。実は手抜きをしたかったので、大学付属の高校に入りました。高校に行くと、おまけで大学が付いてくるみたいな(笑)。  
   
  それはお得ですね(笑)。経歴を拝見すると、芝浦工業大学のご出身ですね。じゃあ芝浦工業大学の付属高校だったんですね?  
   
  はい。  
   
  そのまま大学に進まれたということなんですが、専門は何を学ばれていたんですか?  
   
  学部は金属工学で、私がやっていたのはセラミックの研究をやっていました。セラミックは強度の高い新しい物質で、工業製品に活かすための研究をやっていました。  
   
  ちょうど京セラさんが急成長するぐらいの時期ですね?  
   
  ちょっと手前ぐらいでしたね。だから、実験器具なんて億単位の値段で…。  
   
  実験器具が億単位!?最先端の研究をしてらっしゃったわけですね。  
   
  そうですねえ。当時は……。  
   
  そのまま、セラミックの研究を生かせる会社に入ろうとは思わなかったんですか?  
   
  それがですね……。一日中セラミックの炉の前に立って、白衣を着て、汗を拭きながらやっていたので、「就職したら"背広を着たい"」と思ったんです。もう仕事で白衣を着るのは・・・  
   
  で、その専門のセラミックとは関係ない会社での就職を考えられたわけなんですけども、Aspac(アジアパシフィック総研)との出会いはどうやって訪れたんですか?  
   
  当時の就職活動はバブルのころで、学生は皆チヤホヤされてたんですね。お弁当付きの会社説明会で、お小遣いまでもらえちゃうとか。一泊二日の温泉旅行付きの会社説明会をやるとかね。  
   
  バブルですねぇ……。  
   
  物凄かったですね。でも、大学に求人が来るような会社は、「白衣系」ばかりなんです。先生が推薦するところも、やっぱり「白衣系」の会社ばかりで。しかも有名で大きな会社ばかりなんです。なので私は「就職活動は自分でしますから」ということで、合同説明会っていうのに参加したんです。で、その中に当時「アジアコンピュータ」という会社があったんですね。  
   
  当時の社名は「アジアコンピュータ」だったんですね。  
   
  アジアっていうのは日本より広いからいいなかと思ったんです(笑)。それで、「一度会社に遊びに来なさい」と言われて、後日行ってみたら、いきなり社長面接なんですね。  
   
  焦ったでしょ?  
   
  私、ちょっと普通の格好じゃなかったんです。デザイナーズブランドの背広を着て、頭もツンツンさせて(笑)。当時はかなり珍しい格好でした。で、面談のときに「うちの会社に入社したら、服装とか髪型とか直して差し上げます」と言われたんです。  
   
  当時の社長がそう言ったんですか?  
   
  はい。他は学生にチヤホヤする会社ばかりだったのに、この会社では、初めて説教されたんですね。「あ、この会社面白い」と感じました。結局それが入社のきっかけでしたね。  
   
  新鮮だったんですね。それにしても、理系の学生で、デザイナーズブランドのスーツを着て、ツンツンの頭をして……。ずいぶん珍しい就職活動生だったんですね。  
   
  「脱白衣」が目標でしたから(笑)。  
   
  今でこそAspacさんは上場されてますけど、当時はまだ上場もしていない小さな会社ですよね?  
   
  誰も知らない会社でした。  
   
  躊躇しませんでしたか?まわりは皆、有名な大企業に入社するのに、自分だけ誰も知らない小さな会社に決めたわけですよね。  
   
  ひねくれてたんですね。大手に入って歯車のように仕事をしたくないって思ったんです。ちょっと天狗だったところもあって、「ちっちゃな会社であれば3年後には俺が牛耳れる」という気持ちが、どこかにありましたね。  
   
  それが、冒頭で仰っていた、「30代で社長になってやるぞ」ということなんですね。  
   
  若手のベンチャー経営者みたいな、そういうのに憧れていたんでしょうね。  
   

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